吉田修一「パレード」を肴に「家族計画」をやる
あれは去年だったか、seidenのワゴンセールで投売りしてた時に査収、確か3000円くらいでした。しかしえらくでかいパッケージや…。で、そのまま放置してたんですが今のままだと単なる場所塞ぎなんでこの一週間でやってみました。
感想としては面白かった!の一言。台詞廻しの軽妙さとキャラクターの過去が凄い対照的なようにも感じるんだけど、なるべくしてなったんだなと分かると泣けてきます。印象に残ったキャラは、父親役がうーん渋いけどコミカルでナイス。今ならヒロシネタとか追加でどうでしょう。声に関してはもう言わずもがなですね。それと準がえらいツボにきたというか。最後が凄く良かったです。青葉は色々な意味で強烈過ぎてトラウマになりそう。と、それくらいですかね。他のキャラも普通に良いし、あー発売当時にやっておくんだったなと思わせる一本でした。
そしてそれとは別に、こっちも今更ながらに吉田修一の「パレード」を読んでて、少し引っかかるものがあったんですよね、このゲームと。全くの他人が共同生活で繰り広げるドタバタ劇というフォーマットはまあ「家族計画」と似ていると思うし、登場人物でいうとイラストレーター兼雑貨屋店長の相馬未来などは青葉を連想したり。裏表紙の紹介でも、家族計画が発動してからの描写を思わせる文章があります。
「上辺だけの付き合い?私にはそれくらいが丁度いい。」それぞれが不安や焦燥感を抱えながらも、“本当の自分”を装うことで優しく怠惰に続く共同生活。
じゃあ何が引っかかるのか。それはゲームの後半、「泣き」が入る部分でしょうか。確かに感動するシナリオなんですが、それとは別にもったいないと思うのは最後、家族計画は一旦終りを見せる事です。もちろん主人公がいずれかのヒロインを選ぶ=愛する事で終わる訳だから、きっちりとした決断だし、エンディングでは概ね家族計画は再会する運びなので、そこに文句はありません。では何故、例えばハーレムエンドのような緩い結末が無かったのか。何故「パレード」の結末が全てを赦してしまっているのか。非常に写実的で共感を呼ぶ小説が最後に見せる幻想と、甘い二次元に浸ったエロゲーの最後の厳しさとのギャップにしばし考えを巡らせてしまいます。
ま、要はエロゲーにおける感動モノにもの申している訳ではなく、いわゆる同時代小説にいつまでも浸っていたい世界を見出すってのが新鮮に感じたわけなんですけど。