電撃が向かう先?

http://d.hatena.ne.jp/mashco/20050214#1108349884さんにて、電撃文庫の配本システムを知る。なるほど、道理で地元の本屋には2〜3年前の、微妙なラインナップしか揃ってないのか。それはさて置き、電撃文庫のイラストについて疑問を呈してはるみたいなんで、色々考えてみました。まず谷川流の「ハルヒ」シリーズ(スニーカー)が「学校を出よう!」シリーズ(電撃)より売れている点について。

小説のイメージがイラストレーターの絵にずいぶん仮託されているんだなあ。挿絵として、シーンを描いたりもしているからだろうか。このスニーカーと電撃で同時に出た2作品って、どんな表紙なのだろう。挿絵が内容を補足どころか、自分が内容だ!ぐらいに影響が強いから、小説とはいえコミックやゲームと親和性が高いのか

これはスニーカーの方がシンプルで、センスの良い装丁に仕上がっているし、あのジャケットが作品を一発で表現できている、かなりレベルの高いモノではないかと思います。組み合わせの妙というか、イラスト単品の偉大さはもちろんの事、どれだけ内容にしっくり来ているのかが評価のポイントになってるのではないでしょうか。ただ、漫画的な売れ方をしているという点についてはイラストよりもむしろ中身の面白さの差が大きいんじゃ?要はハルヒの方が面白い、と。
次に、電撃文庫の印象についてですが、言われてみればそうかも知れないです。

電撃文庫の平積みをながめるとどのイラストも同じ雰囲気を持ち合わせているのではないか、ということ。後発である電撃文庫電撃文庫たらしめたのは、そのイラストのトーンなのかもしれない
(中略)
10年以上まえ、わたしが読んでいたころは、イラストレーターの作風にもう少し多様性があったような気がするのだ。登場人物の瑣末な特徴ばかりを強調する絵ではなかったような気がするのだ

アナログからデジタルへの移行や同人での流行り絵、って事で済む話かも知れないけど、やはりキーワードは人物ではないでしょうか。人物ありきの表紙、という全体のイメージがあります。昔のはもっとこう、世界観が風景が滲み出ていたように思える。後、いかにもまずい表紙ってのは無くなってきてて、どれもこれも上手い。だから最初から均一化された印象がある。例えば富士見ファンタジアの「オーフェン」や「フルメタルパニック」が凄い人気だったのは、作家とイラストレーターが二人三脚で成長していく様にある種興奮していたんじゃないだろうか?電撃で言えば確かに「ブギーポップ」など出た当時は表紙にもある種かなりのインパクトはあったし、今でいうと「キノの旅」や「灼眼のシャナ」などは同じような経過で人気シリーズとなったのかも知れない。しかし自分が電撃をあまり読まなくなったのは考えればオーフェンフルメタブギーポップが一段落して上記の2シリーズが台頭し出した頃ですわ。そしてライトノベルという一つの括りが登場した、という流れか。そしてイラストもライトノベル内である種括られてきている、というのは単純な結論になるのかな。
とは言っても自分の場合、今でも好んで読んではいるんで大きな事言えないし、イラストだって好きな作品多いですハイ。ただ、新しいのでも読んでみるかとコーナーを眺めてると、たまにこうクラッと眩暈を覚えて立ち去るのみみたいな日があってそんな日はきっとタコツボに嵌まってんのかも知れません。