昨日は我ながら
悪趣味ではありました。吉田修一については「パークライフ」「最後の息子」なども購入、素直にはまってます。それにしてもなぁ最初に「Water」読んでたら「スウィング・ガールズ好きならお薦め!」とか穏便にまとめられていたかも知れない。
まあ誉められない事に、極々普通に18禁ゲームを嗜む身としてはこういうアレな観点から物事を考えてしまいがちではあります。それでも「CLANNADでED?」などを聞くにつけ、そういやあのゲームも家族モノでかなり感動する代物?(未プレイ)だそうではありませんか。となると感動はするけど何処か「いたたまれなさ」はありませんか?例えば「家族計画」でいうと家族の愛情を拒んでいた司が、最後まで家族を保とうとして傷ついていくのはチクチクきたりしたんですけど。
それともやはり感動超大作「過ぎる」ところが原因でしょうか。確かに、何かに感動して号泣したりすると肉体的欲求は解消されるとは思いますが、長さで考えると自分なんか「修羅の門」一気読みした日とか「銀河英雄伝説」一気読みした日には良い感じになれたりするかな。バキはダメです興奮してしまいますが。つまりは一気読みの尺度だとアンストッパブルに行っちゃうから、妄想の余地がないのか。ただ、読後感の違いで症状もまた変わるかも知れないですね、こう今から何かやるか!って気になるモノもあれば永遠の世界に旅立ってしまいたくなるモノもありましょう。
あるいは圧倒的な作品内容の前に敗北感を感じてしまった時、であるとか。