渾然一体の味には遠からずや

個人ニュースサイトこそが、各々の嗜好・思考・志向・試行・指向 etc…を充分かつシンプルに表現できる日記系サイトの形態かもね、とふと思う。日々感じた事・見聞きしたものの感想を、思った数だけ日記形式で書き綴るには無理があるし、街で見掛けた可愛い服着た女の子を片っ端から記録して絵にするのも難しい。そこにいくとニュースサイトは、星の数ほどの他者が残して行くモノの中から、自らの趣味やその日の気分に合う奴選んで記事にしてコメントつけてより自分らしく軌道修正したりしてみせる。二次元の街中を散歩して見つけた可愛いあの娘も、完璧に表現できる。
羅列されたニュースから、個人の趣味で綴られた日記的要素を見出した時、またその日記自体が面白いと感じた時、そのサイトを「お気に入り」に追加していってるような気がする。記事に対するコメント量の多寡や、速報性・独自性だけが個性ではなく、やはり管理人そのものが表現されている方がユニークであるかと。
…少し固くなりましたか、要は自分の趣味を過不足なく紹介できる、ってのは便利ですなーと言いたかっただけです。昼間は歌舞伎観たりタカラヅカ観たりお能観たりしつつ美少女ゲームをやったその夜中には、SEEDの録画再生しつつ「マリみて」読んだり「マークスの山」読んだりして悶えている土曜日。であるとか、CATS・オペラ座(四季版)をBGMにムキャストで延々格闘ゲームに興じつつCATVでスヌーカーに切替え「そういやブルーコスモスジブリールもこれやってたっけ」と思いつつたかじん上沼恵美子の昼番も欠かさない日曜日。などは我ながら、非常に日記に落とし難い訳でして。それに食い合わせが悪いというか、他人にはお見せしにくい内容になるので、つい1日ごとにカテゴリーの色分けしてしまうし。そうなると、全体としてバラバラな感じになるのが惜しいですわ。でも客観的にみて何と気色悪い趣味しとんねん自分、と少し虚しくも悲しくなるような。
それでも日記形式を採るのはダラリと気楽に書き綴る事ができるし、長めの文章でしか表現できない感想を書くのも読むのも好きだから、でしょうかね。ニュースサイトのメリットは前述の通りとして、そのストイックさ加減が羨ましくも真似できないというのがあります。一冊の本にまとめたら、きっと昔の歌集のようになるんだろうなぁ。古今和歌集とか万葉集とか。一つ一つの歌(記事)の内容とそれを選んだ撰者(管理人)の意図を汲み取る面白さが似ているに違いない。平安時代は和歌が様々な思いの表現手段であり、21世紀においてはblogなどがそうならば、今も昔も編纂者は何がしかの意図をもって選べばこそ、その名を残せましょう程に。