ジャンル『涼宮ハルヒ』は何処まで行けるのか?

まずは考えのきっかけとなった分析から。
涼宮ハルヒが同人誌のジャンルにならない理由とマリみてが同人誌のジャンルになった理由@Angel Heart Club
これに加えて、4月23日の日記においての

私は4月21日の日記で大人気の涼宮ハルヒが同人誌のジャンルにならないと書きましたが、逆に考えればジャンルにする方法もあります。半端じゃない数のサークルが涼宮ハルヒの同人誌を描きまくり、それを継続すること。

非常にわかりやすく、説得力のある考察だなぁと思わず感心です。他方、一連の日記を読ませてもらった時点での自分の結論は「NO」でした。つまり、ハルヒがそこまで大きなジャンルとして広まる事はないだろう、と。
根拠はずばり『フルメタ』にありました。コミケをはじめとする即売会には近年足を向けてないので現場の声ではないのですが、同人ショップでの扱いを見る限り、エロパロネタの同人誌がそこそこ出ていた程度…『ふもっふ』のアニメ化から成功を収めたメディア展開としてはハルヒの先鞭をつけた形でもある訳で、フルメタでこれなら結局のところ「みくるちゃん陵辱」的な同人誌が出て終わりじゃなかろうか?と思わざるを得なかったのです。
しかして経ること一ヶ月、ネット間での盛り上がりは、もしかしたら自分の予想以上の規模かも知れない、と。まさしく「半端じゃないサークルが涼宮ハルヒのイラストを描きまくり」な状況ではないでしょうか?その他、聖地探訪にED曲オリコン1位獲得運動などの現象も相まって大盛況なハルヒ界隈、このまま行けば、『マリみて』の「次」を担う同人ジャンルとなる、少なくともその下地は出来つつある状況になった…と仮定してみましょう。
ならば一大ジャンルになるために必要な要素はひとつ、「先導となるべきインパクトのある同人誌およびサークル」の存在でしょう。そこで参考にしたいのが『ブギーポップ』。もちろん『マリみて』ほどの広がりを見せた訳ではないものの、ほんのわずかながらも「とらのあな」等において同人誌のコーナーがありました。当時の状況を考えれば、実は結構凄い事なんじゃないかと思われます。
中でも衝撃的だったのは、高河ゆんがサークル「九重」として描いた『ブギーポップ・ジェノサイド』。いや、これはマジで驚いた。ブギーポップで同人誌で、こういう人が描いたら…というツボにはまる組み合わせだったのです。「あ、こんな風に本に出来るんだ」という事を伝えてくれる存在こそが、小説というジャンルには必要なのでは?と今更ながらに示してくれる一冊ではないかと。
ちなみに『マリみて』においても、名を上げた同人作家さんは随分いたように思います。また、横同士のつながりも深くて、その交流の様をweb上で追っかけるのも楽しかった覚えありです。
涼宮ハルヒ』の場合、ジャンル以前に、アニメが小説のパロディ化としての役割を大きく果たしているのがポイント。つまりハルヒアニメというビジュアルの具現化によって、イラストにしやすくなったという訳です。しかし同人誌となると、まだまだアダルトオンリーな雰囲気が漂ってくるようにも思える、そんな状況…かも知れない。
さて。以上を踏まえて結論とすると、『マリみて』規模の広がりを見せる可能性は果たして、「ある」と。ただし、アニメがビジュアル化の先導をしている限り、ネットでイラストが拝めて良い時代になったなぁと感慨に耽って御終い、の可能性も。やはり最終的には、二次作品同士が影響しあうような盛り上がりに加えて、鮮烈なインパクトを持った同人誌の登場が待たれる…というのが持論であります。まあ、ぶっちゃけ型月の社っ長サンとか“ちゃん様”とかが一筆書けばドカンと来るよネ…とか実も蓋も無いオチをつけつつ。