マリア様とお釈迦様がみてるのは誰?
そういえば自分は、マリみてにまつわる3つの謎を追わんが為にブログというものを始めたんだよなぁ…としみじみしているところであります。嘘です。ちなみに3つの謎とは、「学園祭の演目」「ロザリオ継承問題」「祐巳の傘」という個人的な興味どころでありまして、それらはシリーズの最中、見事に消化されていきました。特にレイニー止めの立役者でもある傘にまつわるエピソードは、マリみての枠を超えて、作家そのものの文章の魅力を感じたといっても過言ではありません。そんなこんなで、もう何も思い残す事はなく「祐巳と祥子の物語」と共に卒業しても良いのではなかろうか…と思ったのも束の間。
脳裏によぎったのは、あまり評判の良ろしくない?『お釈迦様もみてる』でした。そして視点を変えた『マリみて』…両者が交錯する位置に立つ人物、それは…藤堂志摩子なのではないでしょうか?ここで新たに「志摩子さん、結局どうするん?」という問題が浮かび上がってきたのです。これだけは、作中においてまだ消化できていない謎!(の筈。)まだだ、まだ終わらんよマリみては!と勝手に解釈、つまりはノリリン主人公に据えてニュージェネレーションな話を超期待。ノリリンの妹とか、ナナッチの高校生活とかドリ子の華麗なる日常とか、色々なお楽しみはこれからだ!という訳で、「蓉子さま、そこはドリ子ですよドリ子!」などと細かいところで割とどうでも良いツッコミを入れつつ。