きっと忘れない筈だ。

33歳ガン漂流ラスト・イグジット

33歳ガン漂流ラスト・イグジット

3部作、最終章。本当に最後まで同じノリで書ききった事に、感動すら覚えます。それでも日付が4月に入ると、泣けました。分かっていても、お別れの時がグングンと近付いてくる感覚は切ない。
作者の身体的な苦痛を感じる事なく、楽しみさえしながら最期を看取った感覚は本当に未体験のもので、リアルタイムにブログをチェックし、見守ってきた人達よりも、さらに希薄な接し方なんだろうなぁ、とは思います。それでも、単行本として、これだけ読ませてくれた闘病日記があっただろうか?と振り返ると、「面白くて笑えたのはこれだけ」と堂々答えられる。そんなシリーズ。
もっと泣けば良い、苦しいなら苦しいと言ってほしい…そんな湿っぽさがないのは賛否両論かも知れないけれど、作者自身が意図して造ったカタチに素直に乗っかったモン勝ち、というスタンス。それでも感動してしまうのは自分の勝手な領域だ、と。
何よりも、母親をサイボーグに見立てて「サ母」と名付けるセンスと、ありとあらゆるシーンで顔を覗かせる「モノフェチ」なところが格好良かった!後、「癌ダム」とかね。もう笑うしかない。ガンプラといえば最近、
ガンプラ作ると頭が良くなる 大学助教授発表
なんて記事があったけども、そういえば作者の奥山氏もガンプラは良く作ってた。そして既に同じような主旨の発言を残していたのだ。

プラモ作り=時間の無駄と捉えている友人も身近にいたりするのだが、オレ自身は物凄く多くの事を学んでいる。それは「コツコツ頑張る」などというレベルではなく、文章や表現にフィードバックできる類のものだ。「テクノを作るのに、テクノだけ聞いててもダメ」ってオレはよく言うのだけれど、文章もそうだ。村上春樹さんもどこかで「文章を書くには特別な才能はいらない。たた、本は浴びるように読んでないとダメ」とおっしゃっていた。その通りだと思う。
でも、オレは文章から文章を学ぶだけでなく、プラモ作りからも文章を学びたい。ランナーの間に文章の構造が見えるし、効率のいい組み立て作業と考え方は文章にも応用が効く。何より重要なのはプラモが3次元の表現であるということだ。文章でこの構築感と固まり感を出すにはどうすればいいのか?完成後今にも動き出しそうに感じるこの感覚を文章で表現できないのか!ヒントはポリキャップの弾力性にあるというのか!?
今後、オレが文学めいたものを生み出すことがあるとしたら、土壌はこういった作業の中にある。

かなり勢いで書いているようにも思えるのですが、「ガンプラ」を文章で表現するならばどうする?となると、成る程イロイロ考えさせられるなって感じ。奥山氏の場合、この『LastEXIT』に入ると、ラインナップが「GFF」になっている。さすがにガンプラを作る余裕がもうないんだ、と思うと切なくなるし、逆にGFFで「Z」だからこそ買った!のかも知れない。そう、何気ない一つのガンプラ作品で、色々な想像ができてしまうのだから面白いのかも知れない。
そんな訳で。「マニキュアを塗っていると奥山君を思い出す」なんて女の人が登場してたけど、自分だったら「ガンプラを作る度に『ガン漂流』を思い出す」って事になるかも知れない。恐らくは「そんな覚え方すんなよ」と作者に怒られそうだけど、人生でまだガンプラを作ったことがない自分にとっては、意外な後押しとなってくれそうなな予感もある。今度こそはそう、ボークスでもヨドバシでも良いから、ガンプラ買ってみるかな。それでもって、きっと忘れないと思う、奥山さんのこと。