ハルヒは小説版『月姫』になったのか?

「アニメを観て『ハルヒ』が面白くなった」なら、それはそれで良いんじゃない?むしろ、とても幸せなことだと思います。
かく言う自分も、アニメを観た後に小説を読破した口(『退屈』以降)でありますが、長門よりもハルヒの言動がいちいち可愛くて。明らかにアニメからのフィードバックが起きているという実体験をしたものです。
今の『ハルヒ』の面白さは、アニメが小説を補完した世界観の上に成り立っている、と考えれば、小説『ハルヒ』が以前よりも面白いという評価が多いのはあながち間違いとも言い切れないのではないかと。そして二次創作の急速な広がり。各々のハルヒ像(含む長門・みくる・朝倉涼子ちゅるやさん。アレ?)が行間の楽しさを刺激して、世界観は立体化した面白さを生んでいる、と。
ちょうどそれは、『月姫』のどこが好き?面白い?という問いかけにも似ているような。月姫の場合は原作からして衝撃的だったのですが、やはりその後のムーブメントというか二次創作の一大ジャンルとして成るまでの過程こみでの返答にはなります。琥珀さんが人気投票で秋葉を蹴落とし2位になる、そんな道のりを楽しんできました!と答えたい。
ところで、逆に「結局のところ祭として騒げる格好のタイミングに乗っかっただけ」とも言い換えることは可能で、小説としての本来のハルヒを鑑みて複雑な気持ちになる人はもちろんいるでしょう。
個人的には、『フルメタ』の時にそう思っていました。『ふもっふ』アニメ化によって俄かに騒がしくなった頃、「何でこんな面白いの読んでないん?」という気持ちにさせられた事があります。何しろ、当時のコミケのカタログ探しても『フルメタ』のサークルカットなんて一桁台でしたし!…まあ小説ジャンルというのはこれまた少し違う規律というか世界があると勝手に妄想しているので、これ以上は語るまいとして。
では、何故『ハルヒ』ならば祭りになっても平気だったのか?という点についてですが。それこそまさに、小説として非常に微妙なスタンスにいたからでしょう。ライトノベルの申し子の一人としての存在と、発売当時の話題性と内容自体の評価。総合すると、シリーズとして洗練された小説…とは言い難いです。
そして、そこに『月姫』的テイスト、すなわち「微妙な(独特な・下手くそな)イラストだからこそ流行る」現象が生まれたのではないか?と思うわけで。『ハルヒ』の場合は、アニメの緻密な描写と、小説のこれまでの評価との齟齬が大きかったからこそ、その落差の部分に突っ込んだり騒いだりする事ができたんじゃないでしょうか。
そうこうする内に、小説とアニメの落差は「脳内で」埋まっていき、『ハルヒ』って面白いよね!という感情に落ち着く、と。そうなれば、小説を読んでも良し・同人を読んでも良し・イラストを描く・見るも良し…という広がりを持つようになるかと思います。

そんなこんなで『ハルヒ』現象を勝手に解釈してみましたが、自分はあくまで「ハルヒは楽しい」と楽しんでいる派、です。そこに深い意味はなく、これまでの傍観にもあえて目を瞑り、脳内でアニメのOP・ED曲がリピートしている日々、なのでした。