ガンダムとSEEDと時代性の変化
- 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』 スペシャルエディション完結編〜自由の代償〜を観る。
題名長っ!という訳で2007年も種運命を。ラストエピソードしか興味無かったのでそれまではBSでアメフト観てましたが。
で、ラスト鑑賞…えー!?またもや大・爆・笑!2005年末に観た『〜選ばれた未来〜』の時に追加されたキラ×シンの握手シーンも相当笑った記憶があるのですが、それに匹敵する程のエピソード!キラ様、全軍制覇ですやん。もはや何も言うことはありませんこれでこそSEED/DESTINY有難うございました。終わり。うそ。
さて、今年はアニマックスの年越し番組として初代ガンダムの劇場版3部作やってたので、初めて通しで「ファースト」を観た年にもなりました。そこで改めて種・種運命とはどういう作品だったのか?とぼんやりと考えているのですが、素晴らしい程のオマージュ具合だったのだなーと今更実感。ジェネシスもまんまア・バオア・クーでしたし。2007年に気付く自分。
まあ、こうして初代を観た事によって、池田秀一がDESTINYに出演した意義というか意図は、少なくとも自分にとっては当てはまるものになりました。そして初代から失われて、種になって獲得されたものも何となく掴めた気がしたりしなかったり。
それは男らしさだとか男臭さとか、男の浪漫だとか…そういう空気がSEEDからはついぞ匂ってこなかったとい事。オーブのトダカ一佐あたりはかなり熱かったのですが、濃くはなかったですし。かといって、あの絵柄で濃い展開になると少し違う空気が、嗅いだことないけどボーイズラブ系の香りがしそうだと個人的な五感のクロッシングが告げていますエエ。
つまり、体系的にも初代の「古き良き」雰囲気を種世界に継承するのは無理だったのではないでしょうか。脚本がアレだとか展開ばっかり似せやがってとか罵るのは罵っておいてさて置き、今の流行・撮影技術などに初代の根源たる面白さを盛り込む事は相当難しい、と。
じゃあSEED DESTINYの面白さって何?となると、世界観は今の混迷する世界情勢を映す鏡としての役割はある程度あったかと思います。結局のところ未来はどうなるかわからない、でも明日の自分は自分で決めたいというメッセージだけは最後明確にした方向性も、キラのこれまで歩んできた道のりを思えばまあアリでしょう。特に無印SEEDでナチュラル・コーディネーターとの狭間で苦しむキラとフレイの邂逅を経ての発言だと思えば(個人的な一桑島スキーとしては)感無量であります。ラクスは最後まで微妙にしか思えませんでした。何かカリスマ的発言もしくは行動ってありましたっけ、この人。良くわからん。
逆にDESTINYのまずかったところは、最後まで作品世界の希望を込めたメッセージが見えなかった事。前述のキラ台詞は確かに素晴らしい、しかしデュランダル議長が語る「世界の混迷」はより深刻で、それに立ち向かうのはそれぞれ地球とプラントの最高指導者になったカガリとラクスだとすれば、これまでずっと視聴者としてみてきた身としては正直胡散臭いとしか言えないのでした。なーんかこう、微妙な気にさせられるんだよなー、と。
そこで今回の『〜自由の代償〜』ラストエピソードですよ。これは面白い、こう来るとは思わなかったので爆笑。頭の中でドリフが流れてました。イメージとしてはきっと正解してる自信すらありマス。これで世界は何とかなる、桃太郎侍だ遠山の金さんだ必殺の仕事人だよ全員集合!グゥレイト!…シンちゃん。かわいそかわいそ、なのです。以下、総括。
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- 種/運命で楽しませてくれた事
桑島法子出演。フレイ様万歳。魔乳、シャワーシーンのルナ、タリアさんの尻、履けない姉のスカート@メイリンetc…数々のお色気シーン達。
何故か笑いを誘う展開。キラ・ラクスの発言および行動には笑いを誘発させる何かがあった模様。それでも世界は2人を中心の回っていくのでした。南無。